大地震から1ヶ月

2011年3月11日に発生しました震災により、犠牲になられた方々の
ご冥福をお祈り申し上げますとともに、被災された皆様、そのご親族の方々に
対しまして、心よりお見舞い申し上げます。
と、定型文の様に見えてしまうけど・・・、本当に胸が締め付けられる思いです。
 
発生時、私は千葉県内の職場に居ました。
いつもの様に目の前の人の貧乏揺すりで揺れているのかと思っていたら、
揺れは激しさを増し、小学生の頃の避難訓練で教え込まれた通りに机の下へ。
身を縮め歯を食いしばっていました。
 
発生直後の社内はこんな感じ。

 
1度目の揺れがおさまるとみんな一斉に外に駆け出しました。
 
家族に会いたかった。揺れている最中から家族が心配だった。
私が居るのは千葉。でも家は茨城。とにかく家族の安否が気になる。
声が聞きたい。顔を見たい。どうか無事でいて!!
母は過呼吸になっているだろう・・・。危険だったら倒れこまないで
過呼吸になりながらも逃げて!!お願いだから安全な場所に居て!
 
徐々にネットやTVで被害状況が流れ始めた。その映像から、
そして身を持って体験したあの揺れでは犠牲者が出ているのは容易に
想像がついた。恐怖で家族に電話をかける手が震える。繋がらない。
メールも送信できない。考えることは皆同じで混雑。混乱。
そんな3.11でした。
 
母はやはり過呼吸になっていましたが、幸い友人と一緒に居たので
落ち着かせてくれていました。感謝です。全員無事。感謝です。
 
帰る交通手段がない「帰宅難民」となった私は社有車を借りて
通常1時間くらいの道のりを4時間以上かけて帰宅しました。
旦那は仕事で帰って来られないと言うので、実家に直行し、
そのまま実家に泊まることに。家族の顔を見たらようやく
少し落ち着くことができた。
 
「大震災」どこか他人事だった。自分が経験するとは思っていなかった。
その後の放射能問題も、頭が良く用心深い日本人が「放射能漏れを起こす」
そんな失敗なんてしないと勝手に思い込んでいた。
 
まだどうなるか分からないから、危険予知をして行動していかなければ
我が命、1つでは足りない。
 
これ以上、犠牲者、被災者がでないことを願うばかりです。
皆様、気をつけてください。